バロック時代のホルン協奏曲
お問い合わせがあって弊社取扱いからピックアップしたものです。折角なので作曲家についての情報も少しつけてご案内します。(※すべてピアノリダクション=ホルンとピアノ伴奏の楽譜です)
Johann Peter Fick (?-1743)
彼の名前も生涯もあまり知られていませんが、晩年はドイツ北部の街の宮廷お抱えの音楽家として過ごしたようです。作品も少なからず残されているとか。
Gerog Philipp Telemann (1681-1767)
解説は不要かもしれませんが一応w ドイツ東部の出身、晩年はハンブルクで活躍。小さい時から非常に優秀で、音楽以外の職業でもきっと成功していたでしょうが、親から反対されても音楽への情熱は止まらなかったようです。一時期フランクフルト市の音楽監督もしていたとか!
Johann Christoph Förster (1693 – 1745)
ドイツ東部、ライプツィヒの西に位置する小さな田舎町の出身。オルガン、作曲、そしてバイオリニストとして室内楽を学び、最終的には宮廷楽団のコンサートマスターに。テレマンの「ターフェルムジーク」、「パリ四重奏曲」の特価予約販売のリストに名前が残っているそうです(この時代にそんなのあったんですねw)
Johann Joahim Quantz (1697-1773)
ドイツ中部、ゲッティンゲンに近い町の出身。フルート奏者・フルート製作者・作曲家。特にフルート奏者としてヨーロッパを演奏旅行するほど有名で、フリードリヒ大王のフルート教師でもあったとか。彼が書いた「フルート奏法試論」は日本でもフルート奏者にとって必読の教本です。
Johann Georg Rölling (1710-1790)
ドイツ東部、ドレスデン近くのほとんどチェコに近い町の出身。ドレスデンで学び、その後ドレスデンの北のツェルプストという町の王子に認められて宮廷オルガニスト・室内楽奏者となり、最後は宮廷楽長にまで登りつめました。
Karl Heinrich Graun (1703-1759)
ドイツ東部、ドレスデンとライプツィヒの中間くらいの町の出身。合唱から始め、テナー歌手として舞台にも立ち、その後数々のオペラを作曲。この時代のドイツオペラ界を牽引していた作曲家の一人です。
Johann Melchior Molter (1696-1765)
ドイツ中部、アイゼナハに近い町の出身。バイオリニスト・作曲家。ベニスやローマで作曲の勉強をしていた際、ヴィヴァルディやスカルラッティといったイタリアの作曲家から多く影響を受けたそうです。
Johann David Heinichen (1683-1729)
ドイツ東部、ライプツィヒに近い町の出身。音楽理論学者、作曲家。弁護士として活動していた時期も。ヴェネツィア留学後、J.S.バッハを支持していたアンハルト・ケーテン候の宮廷でバッハと同僚だった時期があるそうです。
Johann Georg Knechtel (1734-1756)
調べましたが、自身もホルニストで、一時期ドレスデンの宮廷楽団に在籍していた、ことくらいしかわかりませんでした。苦笑
Josef Fiala (1748-1811)
ボヘミア(現チェコ)出身の作曲家。オーボエ、ガンバ、チェロも演奏できたようです。ミュンヘンで宮廷楽団に所属していた時、彼がトレーニングしたウィンドバンドの演奏にモーツァルトが感動して、彼がその後も楽団で安定して在籍出来るよう援助したそうです。
Franz Xaver Pokorny (1728-1794)
ボヘミア(現チェコ)出身のバイオリニストで作曲家。マンハイムでシュターミッツやホルツバウワーなどに師事したそうです。